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小島で楽しむ癒しの散歩 「加波島(カパド)旅行」
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海で島の四方が囲まれている島、済州の島「加波島(カパド)」。島の小島、 加波島では全てのモノが音楽になる。海岸にぶつかる波、青麦の畑をすれちがう風、町中から響き渡る住人たちの笑い声まで。その全てのモノが交じり合う島のハーモニーに耳を澄ましていると、拍子を合わせるよう、自分の足取りも軽くなる。
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- 小島で楽しむ癒しの散歩 「加波島(カパド)旅行」小島で楽しむ癒しの散歩 「加波島(カパド)旅行」
海で島の四方が囲まれている島、済州の島「加波島(カパド)」。島の小島、 加波島では全てのモノが音楽になる。海岸にぶつかる波、青麦の畑をすれちがう風、町中から響き渡る住人たちの笑い声まで。その全てのモノが交じり合う島のハーモニーに耳を澄ましていると、拍子を合わせるよう、自分の足取りも軽くなる。島に来たのにまた島とは!すこし遠い旅立ちだと思うかも知れない。だが、本当の済州を感じようであれば、「島」よりいい場所もない。島の響きを音楽に癒しの散歩をしたいなら、加波島へ行ってみよう。海岸沿いの道は4.2km、オルレ道でも4.3km。1~2時間で十分歩ききれる距離である。青々とした景色を眺めながら歩くこの道の上では、頭の中を惑わす雑念はいつの間にか柔らかいメロディーに変わっているはずだ。

加波島は、青さに覆われている、癒しの島である。青い波を通り過ぎて島に入ると、青々とした青麦に囲まれる。特に青麦のピークである3~5月では、そのさわやかさは倍になる。加波島にある、オルレ10-1コースをゆっくり歩いていると、町の細道があらわれる。そこが、青麦の間を思う存分歩ける、癒しスポットである。約60万㎡の地を覆っている青麦が、踊るようにそよいでいる景色に、心の中では思わず微笑が浮かぶ。人が目立つようにするため、レッドカーペットを敷くが、この青麦畑が敷いたグリーンカーペットは、自然の中からもの静かに表れるしかない存在について教えているように、また、世の中で寂しさを感じた者を暖かく受けいれように広がっている。
加波島にある、オルレ10-1コースをゆっくり歩いていると、町の細道があらわれる。そこが、青麦の間を思う存分歩ける、癒しスポットである。約60万㎡の地を覆っている青麦が、踊るようにそよいでいる景色に、心の中では思わず微笑が浮かぶ。人が目立つようにするため、レッドカーペットを敷くが、この青麦畑が敷いたグリーンカーペットは、自然の中からもの静かに表れるしかない存在について教えているように、また、世の中で寂しさを感じた者を暖かく受けいれように広がっている。

青麦畑の抜け道を通り過ぎて、東方の海岸へ行ってみよう。ここには、加波島の住人たちの昔の暮らし様を見れる、様々な見物がたっぷりある。海に囲まれている島であって、漁業に携わっている人が多い加波島。ここにも済州のシンボルである「ヘニョ(海女)」がいる。その海女たちが集まって、共同体意識を分かち合った「ブルトック」が加波島にもある。ブルトックとは、海女の脱衣室であり、火にあたりながら、体を休ませる場所である。海を後ろに、石を積んで建てたブルトックの中を見ると、そこに集まって、それぞれの人生の悲しみと喜びの話を交わす海女たちの姿が自然に浮かび上がってくる。それだけじゃない。海に行った自分たちの妻を待ちながら、せっせと火をつけている男たちの、かがり火のような愛も浮かび上がってくる。人生が厳しくてつらいとしても、“小さな火種”さえあれば、耐えられるという意志。そして、それが消えないように見守ってくれる人のために、何度も息を我慢し、海の中へと飛び込む海女たちの愛情。これをまだ保っているのだろうか。このブルトック、今も暖かい。

どの島でもそうであるように、常に水不足で苦しんでいたと思われる加波島。だか、加波島の上洞(サンドン)と下洞(ハドン)には、島の厳しい暮らしを中和する、甘い泉の水が湧き出る。今から見る洗濯場(パルレット)は、泉が湧き出るところだ。ここは町の人々の飲み水や洗濯用の水として利用された泉である。1863年、哲宗(チョルジョン)末頃、加波島に人が住み始めた頃には、上洞だけに泉が発見されて、大半の人たちが上洞村に住んでいたという。その後、下洞村でも泉が発見されて、ここもまた、人が集まり、居住地になる。吹いてくる潮風で寒々としていた下洞村に、活気を与えた、生命水のような泉だったはず。下洞村で住んでた人たちは、ここで水をくみながら、ささいな会話をしながら情を交わし、また、洗濯をしながら、心のなかにできた汚れも取り流しただろう。心の中に溜まった塩辛い思いの代わりに、甘々しい人情を詰めながら、互いに思い、互いを抱き合っただろう。まるで大いに広がっている海が島を抱いているように。

あの海、今日のように穏やかだったら何といいことだろう。加波島の人たちの暮しを背負っている場所であり、本土への道であるあの海は、まるで人間の接近を許さぬような境となって、大自然の威容をほこる。そのため、加波島の住民たちは、神の声のような激しい波音を静めるため、加波島の東方の海岸にある「祭壇家」で天に向けて天祭を行った。住人たちは旧暦の2月のある日を祭日として選び、町の安全や将来、豊漁のための祈りを行った。この天祭には、9人の男性代表 が参加する。この天祭のために彼らは4日の間、不浄なものを遠ざけ、身を清潔にしなければならない。また、町の人たちの真心がこめられた供物を用意し、天祭を行わなければならない。天は毎年、ひたすら町の人たちの安全と将来のために祈る、加波島の人たちの切実な祈りを聞いてくれただろうか。昨日、島の浦にいるおばさんから、「吹きつける風のせいであちこちへと身がふらつき、ずいぶん苦労した」という、オルレ道を歩く人たちの話を聞いた。ところが、いつそうだったかのように、あの海は青くて穏やかだ。海の上を照らす一本の日差しで和らぐ寒さように、加波島の人たちもこれを天の答えとして受け取って、毎日を生きてきたのではないかと思う。

済州は、加波島の人たちにとって、海の向こう側の大きな陸だ。済州には7つの山がある。済州の至る所を見下ろしている漢拏山(ハンラサン)をはじめ、山房山(サンバンサン)、松岳山(ソンアクサン)、軍山(クンサン)、孤根山(コグンサン)、簞山(タンサン)、瀛洲山(ヨンジュサン)が済州の所々にある。ところで、小さな島、加波島から瀛洲山の以外の6つの山を全部眺められる。島の周りの長さ4.2km、一番高い所が20.5mに過ぎない小さな島で6つの山を眺められるのである。そして、それができる場所は「6山の展望台」だけだ。
0.84㎢の面積の中にいるため、他の人を見ることが少なかった加波島の人々。それにもかかわらず、心が広くて豊かさを持っているのは、おそらく海の向こうにある、手が届かんばかりに見えるあの山たちのおかげではないか、と思う。もしかするとこの島は、とても狭い生き方をしている人間に、広い外を見ろと教えているのだろうか。6つの山を一つ一つ手で数えながら、胸の中より深いところまでたどってみよう。そうしたら、そのうち、いつの間にか、我々の心の中には、他人に対する気配り、親切、尊重、理解、謙遜、犠牲などの貴重な感情ができるのを感じられるだろう。

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- 2022-03-03
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